時々、胸が潰れそうに切なく苦しくなることがある。
それなのに涙を流すにはもう一歩足りなくて、私は一晩中そのもやもやと戦い続けるんだ。
突然前触れもなく襲ってくるそれは、たぶん、あいつが原因だと思う。
17 君がとっても好きだけど
「おはよ〜…」
朝一番にも関わらず、ぐったりした声が後ろからかけられた。
私は一瞬目を閉じ、ため息をつく。
それとは正反対に私の胸は喜びを隠しきれていない。
こいつにはもっとクールになってもらいたいものだ。
私は胸の感情を一切表にださないように振りかえる。
「おはよう。なんなのよ、あんた。こんな爽やかな朝にこっちまでテンションさがるっつーの」
「だってさ〜聞いてよ〜」
そう言いながらこの男、馴れ馴れしく肩に腕をかけてしなだれかかってくる。
私は男友達か?
そう思いながら振りほどけない自分が悲しかったり。
そんな私の複雑な心境なんて見事にスルーして、こいつはぐったりと話し始める。
「昨日さぁ、みんなで飲んでたんだよー。したらさ、サッカーやるべって話んなって、その近所の小学校のグラウンドに侵入したわけー。
すげー盛り上がってサッカーしてたらさ、怒られたんだよー、近所のおじさんにー。うるせえって。
まぁさー、時間も時間だったし、酔ってはいたけどそれは確かに良くなかったなって反省してさー。
だからそれからは大声だしたヤツ500円ってことになってさー。したら俺、気付いたら財布から金なくなってたんだよー…
それをつい2時間前くらいまでやってた」
「アホだな」
「はい」
こいつは語尾を伸ばさないとしゃべれないのか。
どっかの頭の足りてない女みたいだ。
ついでにのしかかってくる体がかなり重い。
天気が良くて、気温もちょうどよくて、なんだか爽やかな気分になっていた朝が台無しになった。
なのに私はこいつのことが好きだ。
なんでなんだろう。
自分でもわからない。
酒好きだし、金遣い荒いし、馬鹿だし、アホだし、頭も悪いし、髪ぼさぼさだし、なんだかんだ言ってサッカー下手だし。
顔だって十人並みだと思う。
なのに毎日こいつが好きで好きでどうしようもなくて、本当に自分が嫌になるほどだ。
「あんたさ、重いよ」
「あははーいいじゃんいいじゃん」
へらっと笑う。
その瞬間、私の胸がまた熱くなる。
クールになれって言ってるだろ… まぁ、それで言うことを聞くなら苦労しないんだけどね。
こいつの笑顔はとてもかわいい。
ただ笑うために笑っているという感じなのだ。
私は作り笑いとか愛想笑いとかを見抜ける方なんだけど、そんな笑い方をするやつは想像以上に多い。
うんざりするほど。
だけどこいつはいつも違う。
いつもいつも本当に笑う。
だから私はこいつが好きなのかもしれない。
顔をそらして、密かにため息をついた。
「おっはよー!」
前方から元気な声が聞こえた。
駆け寄ってくる小柄な女の子。
「おぉ、はよ〜」
にこにこ顔で私たちの前に立った。
「おはよっ」
その顔で私にも挨拶する。
作り笑いの嫌いな私が作り笑いで返事をする。
とてもみっともないと思うけど、ここで笑えないほうがもっとみっともないだろう。
元気なこの彼女は、いまだしつこく肩にもたれかかるこの男の恋人だ。
そして私の幼なじみ。
まったく、朝からやっかいだ。
ここに実は三角関係があることは私しか知らない。
まったく、朝から…
「あんた、ほら彼女がきたでしょ。重いからどけ」
「はぁ〜い」
またへらっと笑い、素直に彼女のほうへしなだれかかる。
痛む胸。
クールになれ。
幼なじみの彼女はずっとこいつのことが好きだったのだ。
私はそれを知っているし、ずっと一番側で見てきたし、応援もしてきた。
ふたりが見事付き合い始めたときもきっと当人たち以外では一番喜んだだろう。
なのに一生の不覚。
その彼氏に惚れてしまうなんて!
叶えたい恋。叶えたくない恋。
私の思いはその狭間で揺れた。
だけどなんてことなの。
私がそんな小さなことで揺れている間にふたりはどんどん進展し、今ではなんと婚約者なのだ。
ふたりから心底幸せそうな笑顔で伝えられたときは心臓が抜け落ちるかと思った。
「昨日やっとお父さんが許してくれたの! 卒業してからっていう条件付きで」
小さな体をぴょんぴょんと跳びはねさせて彼女は言った。
私はそのときどんな反応をしたんだっけ。
思い出せない。
本当に毎晩思う。
いっそのことふたりとも消えてくれないかって。
こんなに私は苦しくて、息も出来ないほどなのに。
目を閉じると幸せそうなふたりの笑顔がちらつく。
そのたびにイライラして、そして悲しくなる。
胸の中にある傷が痛くて痛くて、こんな傷が肉体につけばきっと人は死ぬだろうに、それが心の傷だというだけで私は死ねない。
ねえ、いっそ死んでくれない?
心の中で前を歩くふたりに声をかけた。
体から呪いのオーラが出てるかも。
うん、出てるといい。
呪われろ呪われろ。
なんてね。
バカみたい。
本当にふたりが死んでしまったら悔しいけど誰より悲しい自信がある。
死ねばいいと思いながら、幸せになれとも思うのだ。
私は綺麗でも居きれないけど、醜いだけでも居きれない。
そんな中途半端さを優しさだと言ったやつがいる。
このふたりだ。
私は死ぬほどの傷を心に隠しもって今日も笑う。
夜になれば切なさにのた打ち回りながら。
それでもふたりの死と幸せを同時に願うのだ。
「あーあ、どっかにいい男いないかな!」
やけくそでそう言うと、前を歩くバカ男が言った。
「ここにいるじゃん!」
おわり。
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UP 2004/09/20
ノーコメント(笑