act.5
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「もしかして、これのこと?」
少しふるえながら、手紙をバッグから取り出す僕の手を見ると、
クロックは勢い良くそれを奪った。
「うわぁ!どうして持ってるんですかぁ!?お姉ちゃんの!」
“お姉ちゃん”
水色のレターセット、水沢理乃。
僕の中のパズルのピースが全部揃った。
呆然とする僕を見もしないで、クロックは早口話しはじめる。
興奮気味に、でも楽しそうに。
「あ、やっぱり片想いの人と同じ名前だったから?
彼女だったらいいなーとか思ってたんですかー?残念ですねーっ。」
「違うよ。」
「もー。ここまで言ったなら照れなくていいじゃないですかー♪」
「違うんだ。片想いっていうのは。」
「・・・え?」
僕は彼女にすべてを話した。
友達に紹介されたっていうのも、一目惚れっていうのも嘘だと言うこと。
「水沢理乃」さんからの手紙をいつも楽しみに待っていたこと。
それが、一年前に突然来なくなったこと。
そして、今も心のどこかで待っていること。
「じゃぁ、あなたのいう『理乃』はお姉ちゃんだったってこと?」
「ああ。そういうこと。」
「・・・信じらんない。」
「僕だって・・。」
だんまり。
心地よくない静けさが響いた。
そして、さっきの楽しそうな表情からは想像できない程、真剣に僕を見て言った。
「どうしてか、知りたい?」
「・・何を?」
「手紙がどうして来なくなったか。」
僕は、ゆっくりと彼女を見つめ返した。
「なんとなく、わかるとは思うんだけどねー。
ほら、メールに書いたでしょ?覚えることができないって。」
「ああ。でもそれがどうして・・?」
「んー。わかんないか、私もわかるまでだいぶかかったし。」
彼女はあきれたように、でも優しく笑った。
「教えるよ。信じられないような話に聞こえるかもしれないけどね。」
もう、戻れない。
僕はこの時、もう感づいていた。
でも、戻ろうとも思わなかった。
「お姉ちゃんが、あなたへ手紙を書かなくなったのは、別にファンじゃなくなったとかじゃない。
書くタイミングを永遠に失ったの。これからもきっと書けない。」
「それは、どうして?」
「お姉ちゃんはちょうど一年前、事故に遭った。
それで『覚えること』ができなくなったの。」
「それが前に言ってた、『記憶することができない』ってこと?」
「そう。人間の記憶には、おおまかにいうと2種類あるの。
一つは、長期記憶。慣れっていうか、小さい頃から積み重なった記憶。ずっと覚えてる記憶ね。
もう一つは、短期記憶。瞬間的に覚える記憶。今見たもの、とかね。
そして、それらには記憶する貯蔵庫みたいのが存在するのね。
お姉ちゃんは、事故と手術の失敗でその『短期記憶貯蔵庫』を失ったの。」
「失ったから、記憶することができない?」
「そういうこと。」
僕の頭の中はすでに混乱していた。
「新しいものを、見たとするでしょ?そうすると人は、短期記憶貯蔵庫に一度ためておくの。
でも、すぐ忘れる。で、同じものをまた見る。
そのくりかえしを経て、長期記憶となるの。」
「じゃぁ、それを失ったってことは・・」
「新しいことを覚えるために、通る過程の一部をなくしたってこと。
今見たものもすぐに忘れる。つまりは、記憶が積み重ならない、ってこと。」
記憶が積み重ならない。
僕はその意味を頭の中で必死に理解しようとしていた。
「だから、覚えられない、って言ったんだね?」
「うん。お姉ちゃんの記憶は一年前から、積み重なっていないの。
前に言ったでしょ?時は止まったままって。そういうこと。
一年前の2月7日。その日をお姉ちゃんはくり返してるのよ。」
好奇心に駆られて出したメールの答えは、こんなにも複雑、かつ残酷だった。
「・・・わかった?」
「なんとなく。」
手紙が僕の元に届かない理由。
僕が新しい曲を世に送り出したとしても、彼女の心に残っていかないからだった。
感動しないとか、そんなわけじゃない。
どんな曲も、どんな言葉も、どんな思い出も、彼女の心には残らないのだ。
「これで好奇心は満たされた?」
いじわるっぽく、理乃の妹、理菜は言う。
「・・・ごめん。」
「え?」
「あんまり、人に言う話題でもないかな、って。」
「別にー。」
すっきりしたように、理菜は微笑む。
「だって、それでもお姉ちゃんは毎日生きてるんだし。」
ふぅ、つかれた、そんな風にため息をつく。
「ね、この後暇?」
「まぁ、予定はないけど。」
「会ってみる?」
「は?」
「お姉ちゃんに。っていうかね、会わせたい♪」
今考えてみれば、これまでの僕の人生は、ほんの序章に過ぎなかったのかもしれない。
2002/02/21
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