act.6
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心地よいピアノの音が、部屋の中からこぼれてくる。

「まーた弾いてる。」
理菜の表情がやわらかくなる。
「ほんと、この曲ばっかりだよ。一年前から。」

その曲が、一年前に僕が出した曲だと、気づくのに時間がかかった。
楽譜通りに弾いていても、違う曲のようにきこえてくる。
まるで、鍵盤に感情をもたせるかのように。

「おねーちゃん。ただいま〜」
ピアノの音に負けないくらい通る声で理菜が叫ぶ。
そして、くるっと向きを変えて僕に言う。
「さ、上がってくださいっ♪」
「あ、はい。」
妙に改まった口調で返事をする僕をちょっとおもしろそうに見た。
何考えてるんだかなぁ?
僕は、この理菜という女の子に振り回されっぱなしだ。

玄関を見た時にすでに驚いたが、なかなか広い一軒家である。
幸せそうな家庭が頭に浮かぶ。
「いいの?ご両親の留守中に知らない男なんて家に上げちゃって・・」
「いいの。この家を仕切ってるのあたしなの。」
理菜はこっちをちらりとも見ずに足を進める。
「っていうかね、両親はいないから。一年前の事故からね。」
「・・・え?」
僕ははっとした、事故で失ったものは、お姉さんの記憶だけじゃなかったんだ。
悪いことを言わせたような罪悪感で、僕は口ごもる。
でも、理菜はその過去の事実を言い慣れているかのように流す。
「だーから、そういう細かいことは気にせずにごゆっくりどーぞ?
 なんなら泊まってく?」
いたずらっぽい笑いをまぜて。

「おねーちゃん!きこえてるのぉ〜?」

理菜が勢いよく居間のドアを開ける。

「あ、理菜。帰ってたんだ〜。」
すると、そこには一人の女の子。
ピアノの前に座ったまま、ふんわりと笑う。

彼女が、水沢理乃。
僕は出会ってしまったんだ。
活字でしか触れたことのない、彼女に。

すごく美人というタイプでもない、
でも、ぱっと目を引くやわらかい笑顔。
変な言い方かもしれないけれど、“心地の良い存在”だった。

「・・・え?」
彼女は、僕の方を見て、ひどく驚いたようだった。
「理菜・・どういうこと?」
僕ははっとして、慌てて彼女から理菜へ視線を移す。
理菜はそんな僕に気づいてか、楽しげに微笑んだ。
どんな説明をする気なんだろう?

「おねーちゃんには内緒だったんだけどねー。友達なの♪」
慌てもせずに言う理菜に、僕は感心さえしていた。
「ね?」
ぽん、と僕の肩に手を置く。
「う、うん。」
僕は、ただ不安げに頷く。

「ちょっと理菜!」
彼女はピアノの前から立ち上がり、理菜をぐいっと引き寄せた。
「もう!びっくりしたよー!どうして早くいってくれなかったの?」
「だって、びっくりさせたかったんだもん♪」
「だからっていきなり・・」
そういって、彼女は僕の方を見た。
はじめて、まっすぐに目が合った。

「あ・・はじめまして。」
「・・・はじめまして。」

遠くから不思議な線で繋がっていた僕らが、はじめてした“あいさつ”だった。

「理乃さん・・ですよね?」
「はい。」
「いつも、お手紙ありがとうございます。」
「わぁ!読んでくれてるんですか?うれしいです!」
またあの笑顔でふわり、と笑う。
「なかなか返事が書けなくてごめんなさい。」
「いいえ。読んでいただけるだけでうれしいんです。」

心地よい緊張感が僕の中でじわりとやってくる。
上手に目を合わせられない。
手紙の言葉は、この人の中から出たものなんだ。

「何二人して照れてんの?」
理菜が紅茶を運びながらくすくす笑って言う。
「照れてないよ。」
「うそだー。あたしと会った時とは明らかにリアクションが違うっ!」
「気のせいだって!」
「ふーん・・どっちがファンなんだかわかんないね〜。」
僕の心を見透かすように、でも緊張を解かすように、笑う。

「また弾いてたね?ピアノ。」
「あ、聞こえてた?」
少し照れたように、彼女は笑う。
「もちろん。・・・ね?」
「うん。」
頷く僕に、彼女は慌てて言う。
「ほんと、本人さんの前でごめんなさい!」
「どうしてあやまるの?」
「・・・下手だし。」
「下手じゃないよ。上手だったよ。ピアノのことはよくわからないけど、それに・・」
「それに?」
「下手か上手かなんて、まわりが決めることじゃない?」
「そうですか・・ね?」
「うん。僕は上手だと思うし・・」

聞き慣れた機械音が、バッグからひびく。
それは、残酷にも僕らの時間を壊した。

「帰らなきゃいけない?」
明らかに不満げな表情で理菜が言う。
「忙しいんですよね?ごめんなさい・・」
申し訳なさそうに、でもさみしそうに彼女が言う。
「こっちこそ、ごめんなさい。急な用事で・・」
「忙しいのに、わざわざありがとうございます。」
「いえ、僕も会ってみたかったから・・」

さみしそうな表情が、あのやわらかい笑顔に緩む。

「また、会えますか?」
まっすぐに僕を見る彼女に、僕は思わず頷く。
簡単に叶えられる約束じゃないことを僕は知っているはずなのに。
「会えますよ。また。」
僕もつられて笑顔になる。
「また、お手紙書きます。」
ふわり、と心地よい空気。

「送ってくよ。」
何か言いたげに、理菜が奥から僕を呼ぶ。
僕は、その冷静な口調に少し不安を覚えた。

来た道を戻る。
饒舌なはずの理菜は、思いの外静かだった。
それがやけに不安で、僕から口を開く。
「なんか、すごい驚かせちゃったみたいだね。」
「いーんだよ。別に。それで」
「そう?」
「うん。だって、お姉ちゃん喜んでたし。それに・・」
「それに?」

「・・今日の夜には、あなたに会ったことはもう忘れてるよ。」

理菜の放った言葉は、僕には残酷で、重いものだった。

「『また会える』なんて。お姉ちゃんに『二度』はないんだよ?」
「・・え?」
「次会うときも、『はじめまして』なんだよ?」

それが現実なんだ。
あまりにも他の人と変わらない彼女に、僕は大事な事を忘れかけていたんだ。

オボエラレナイ。

君にもう一度会いたいと思う僕は、どうしたらいい?




2002/02/23

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